姉が死んだあとの話
僕は末っ子で、6つ上の兄と3つ上の姉がいるが、姉は大学を卒業してすぐ他界した。就職活動の不調など、その時期のいろんなストレスで精神的に病み、首をくくった。自動車教習所にも通っていたので、もしかしたらそこで何かあったのかもしれない。決定的な原因はわからないけど、就活と教習のセットはやばいんだろうなと思った。
葬儀場でのお通夜のとき、スタッフの人の提案で、姉の好きだった曲を式で流そうということになった。僕は自宅に戻り、姉の部屋を漁り回して、『ハイスクール!奇面組』『アンパンマン』『横山光輝 三国志』『剣勇伝説YAIBA』のサントラを葬儀場に持ち帰った。その後どういう検討が行われたかは覚えていないが、『ハイスクール!奇面組』のサントラだけが使われることになった。家族が泣き、参列者が焼香する中、うしろゆびさされ組の『うしろゆびさされ組』がBGMで流れている様子はやはり変だったと思うが、現場ではそこに意識が向かなかった。後ろ髪ひかれ隊の『時の河を越えて』だけ、やたらマッチしていたのを覚えている。参列してくれた姉の友人たちは、姉をおニャン子好きだと誤解しているかもしれない。もっと普通に宇多田ヒカルとか持っていけばよかったと、今は少し後悔している。
家族みんなまあまあ泣いていたが、まだ実感が乏しく、どちらかというと大勢集まった親戚への対応やら、式の手配やらなんやらのほうに気を持ってかれてたように思う。実感は結構いろいろ終わったあとに来るようで、僕の場合は葬式の後、自宅に戻り、家族みんなで宅配ピザを囲んでいるとき、いつもなら姉の座っている椅子が空席になっているのを視界に入れた瞬間、堰を切った。父の場合は、火葬後、帰りのタクシーの中で自分の腕に抱えられている骨壺を意識した瞬間泣き崩れていた。
姉の死の話題を友達とかとの会話に出すことはほぼ無い。自殺なんて日本では別に珍しい話じゃないだろうけども、この話を会話に持ち出すのはやはり気が引ける。重苦しい雰囲気になる、同情を買いたいだけのやつに見える、というのももちろんだが、加えて「最強の自分語りになってしまう」という理由もある。同じ場に、身内が自ら命を絶った話をしてる人がいる中で、今朝の電車内で見た面白いおじさんの話などできないだろうし。会話泥棒という言葉があるが、身内の死の話題は「会話ドラゴン」だ。強すぎる。
なので、兄弟構成の発表会みたいな流れになったとき、僕のターンが回ってくると緊張する。どう話すかのガイドラインを決めておけばいいものだが、いつも忘れていて、「兄が1人」と言ったり「兄が1人と姉が1人」と言ったりまちまちだ(どちらも嘘ではない)。意外とそんなに突っ込んで聞かれることは少ないので助かっている。ただ、転職活動中のある面接の場ではかなり突っ込んで聞かれ、僕は姉を生きてるもんとしていろいろ嘘をついてしまい、そのあと頂いた内定を辞退した。僕の作り話によって、社長は姉にデザインを発注する気まんまんだったからだ。別に面接だったら最強の自分語りでもよかったのにと今では思う。
姉の死に関する記憶はだいたいこのように暗いものばかりだけど、中にはちょっと色合いの違うものもある。当時東京に住んでいた兄に、電話で姉の死の経緯を伝えていたときのこと。リビングで親戚の人たちが姉のよく使っていたパソコンを立ち上げ、自殺の原因になっていそうなものがないかと、履歴をチェックし始めた。そのパソコンは家族共用のもので、僕もよく使っていた。嫌な予感がしたので隣室の見えない位置に移動しようとしたが、受話器のコードの範囲内でしか離れられず。そして、リビングから明らかに大量のエロ画像を見たときの「うわぁ……」がたくさん聞こえ、続いて父の声で「ぼくじゃないよ」と聞こえた。みんなが姉の死のことを完全に忘れた瞬間だっただろう。
それから14年くらい経った今は、あえて意識しない限り、姉が死んだことは忘れている。無意識の領域に入っちゃった感じがする。たぶん次に思い出すのは、6月にある舞台版『ハイスクール!奇面組』についてのネット記事を見たときだろうなと思う。