誕生日に「おめでとう」は要らない

誕生日という文化が苦手な人は少なくないと思う。夢が叶ったとか結婚したとか紫綬褒章を受けたとかなら祝うだの祝われるだのもアリだけど、別に何も成してないのに祝い合うのがどうも気持ち悪い。嘘をつき合ってるような気分になる。

というようなことは、「たか」という御方のブログ「今夜は金玉について語ろうか」の「今日も誰かの誕生日」という記事を見てようやく言語化できたことだ。記事の冒頭~中盤の愚痴愚痴した展開にちょっと辟易しながら読み進めていたところ、終盤のこの部分でハッとなった。

携帯を見ると3通メールが来ていた。姉と地元にいる友達と自分と同じように地元から上京した友達から、今日誕生日やなというメールだった。毎年この3人からだけなぜか誕生日おめでとうではなく“今日誕生日やな”と確認のメールが来る。

http://ketuge300.blog.fc2.com/blog-entry-56.html

そうか。誕生日メールを送るのに抵抗があったのは「おめでとう」のせいだったんだ。「今日誕生日やな」であれば、嘘を言う気持ち悪さがない。「誕生日やな」「うん」だけのやりとりで、じゅうぶんほっこりする。無理にテンションをこしらえる必要なんてなかったんだ。

おめでとうを言わなくていいということであれば、今後は誕生日メールをスッと送れるような気がしてきた。誕生日おめでとうメールを抵抗なく送れてる人たちは、おめでとうなんて単なる記号だよ誰も気にしとらんよと言うかもしれないけども。単なる記号野郎になるか、孤独に生きるかの二択しかないように見えて、こういう抜け道がちゃんと用意されているところに、人生の希望みたいなものをちょっと感じる。