電通の人たちとカラオケに行った話
5年ほど前、コピーライターになったろうと、「宣伝会議コピーライター養成講座 専門コース 山本高史クラス」というものに通っていた。山本高史というのは、オリンパスのCMで宮﨑あおいが言っている「ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ」というコピーをはじめ、コピーライター界ではスーパースター的な位置にいる御方だ(ちなみに糸井重里さんはレジェンド的な位置にいる)。広告業界には徒弟制みたいな文化があるとの情報を鵜呑みにした僕は、手当たり次第のコピー公募に応募していた頃にたまたま山本さんの名を冠した賞を頂いたことがあったり、あと大学が同じだったりという一方的な縁を感じて受講を決めた。
授業の内容はわりと淡白なものだった。課題が出て、提出して、山本さんが講評する。これを隔週で10回ほど繰り返す。講評は懇切丁寧なわけではなく、ダメなものはバッサリいかれる。ただそこはやはりスーパースターで、やたら的確にけなしてこられる。「水」のコピーを書けという課題で「100円です。天然水までの交通費です。」という自分ではナイスな表現なんじゃないかというのを出したら、「100円てなんだよ。今はほぼ110円か120円だぞ。そもそも値段みたいな重大な情報を雑に決めつけて書く精神が気に食わない」というような威圧的だがもっともな講評を頂いた。「コカコーラ」のコピーの課題で「コーラを全部つないだら世界地図ができた」みたいなのを書いた受講生には「うそをつくなよ」と斬って捨てていた。けなされてるのが自分じゃない場合は痛快だった。
授業後は、受講生(10名ほど)と山本さんとで飲みにいくことがほぼ義務付けられていた。きっと受講生の多くはこの夜の部で、広告コピーを書くというのがどういうことかを学んだだろう。広告は普段のコミュニケーションの延長にある。だから結局こういう場で仲良く楽しめないやつには到底つとまる仕事じゃない、というのが山本さんの持論だ。その能力を養う、あるいは測る場として、酒の席というのは最適なのだろう。ごく一般的な酒の席でもやっとだった僕のようなやつ(似たようなのがほかにも2、3人いた)は当然のように落ちこぼれた。その数人の間では、なかなかの連帯感が芽生えていたように思う。だが我々は互いに話しかけることもなく、ひたすら傍観者になっていた。
そんなふうに言うとなにか凄くレベルの高いやり取りを想像されるかもしれないが、僕が目撃したのは、俗なこと、お下劣なこと、浅いこと、薄っぺらいことのノータイムな打ち合いだった。誰かが"ツッコミどころ満載"なことを言えば、誰かが「欲しがるね〜」などと言い、皆で笑う。どこかで見たことあるだろう。また同じ人が"天然"な発言をし、誰かが「も〜ほんとに欲しがり屋さんなんだから」などと言う。バラエティ番組等でみたことがあるだろう。途中参加の男女がそろって入店してきたら「もうヤってきたの?」と聞く。そういうハラスメントに対しては「なんの仕打ちですか」と返す。または「無茶振りですよ!」などと返す。なんか語り出した人に対しては少し引き気味に「お、おう......」と返す。そういう脊髄反射的なやり取りがポンポンポンポンと絶え間なくおこなわれていた。
講師の山本さんは元電通ということで、講座は電通の社員が半分くらいを占めていた。ある夜、講座の修了生、つまりOB・OGが大勢"乱入"してきて、カラオケでの2次会が開催された。ここ以外でも、カラオケといえば空気を読んだ選曲や気を利かせたタンバリンが求められるものだが、電通の人たちのカラオケは、恐らく代々受け継がれてきた暗黙知により、そういった空気の読み合い、気の利かせ合いの全国大会かよというようなものになっていた。
男はブルーハーツを入れ、テーブルに乗りかかりシャウト。女はAKBを振り付きで歌う。過去に盛り上がった実績のある曲を間断なく注ぎ込み、こなしていく。「おっ!懐かしいねえ」みたいな地味な盛り上がりは受け入れられない。純粋なる「うるささ」が求められていた。
電通の女性の1人は、AKB48の『大声ダイヤモンド』の「大好きだ! 君が 大好きだ!」の「君が」を「仕事」におきかえた替え歌を披露していた。照れの一切ない、一体こうなるまでに何度こなしてきたんだという洗練されたものだった。普通なら振り付けをこなすだけでじゅうぶん盛り上げ役の責務を果たしたと考えてしまうところなのに。ハードワークなサラリーマンに広く刺さるよう、絶妙なモジリをほどこすなんて。すげえという眼差しで傍観していたが、ほかの電通の人たちは彼女の完璧な振り付けや替え歌には反応を示さず、当たり前のことのように、オーソドックスに盛り上がるばかり。替え歌の女性も、自分の気の利かせっぷりに誰も言及してないことなどお構いなく、曲中のすべての「君が」を「仕事」におきかえて歌いおおせていた。すごい。ウケるとかスベるとかそういうものを超越した、ただ行為のみの世界だ。
電通というエンタメの長みたいなところにいる人たちが、ただただ空気の流れに身をゆだねる形のコミュニケーションをとっているのには、単なる体育会系のノリという以上に意識的なものがあると思う。合理的には言い尽くせないものの、恒常的にコンテンツを生み出し続けるのに必要な何か。その一端を目の当たりにして僕は「まちごうたな」と思うばかりだった。