普通っぽいバランスとむちゃくちゃっぽいバランス
何事もバランスが大事らしい。バランスが良いとバランスが取れてるねと褒められる。これって良いの?良くないの?という話をしてると、結局バランスだよねってことで決着する。バランスって言っときゃ、なんかわかってる人のように見えるとこある。バランスは絶対なのか? バランスより大事なことってないのか?
なんとなく、芸術とか創造的なことは、バランスなんて考えないほうがいいような気がする。バランスを考えて作った芸術ってつまらなそうなので。でも、バランスを考えないってどういうことだ。むちゃくちゃしたるってことでいいんだろうか。ピカソはむちゃくちゃしてたんだろうか。そうでもない気がする。ピカソにもバランスはあるはず。
多分バランスは複数ある。少なくとも、普通側とむちゃくちゃ側の2箇所。
普通側から少しずつ歩いていってたどり着くバランスは、普通っぽいバランス。そこは居心地が良くて、くつろいでしまう。そこに安住すると、ほかに別のバランス地点があることなんて考えようとしなくなる。バランスバランス言う人はだいたいこの普通っぽいバランスを「バランス」と呼んでいるように思う。一方、最初になんらかの異常な手段でむちゃくちゃ側の端のほうに一旦飛んで、そこから普通方面へちょっと戻っていけば、別のバランスが見つかるかもしれない。普通側からでは絶対たどり着けなかった、むちゃくちゃっぽいバランス。普通っぽいバランスとは違って定住には適さないかもしれないけど、「あったぞ!」と叫びたくなるような場所、というイメージ。
じゃあ、むちゃくちゃって何か。むちゃくちゃというだけあって定義不能っぽいけど、なんとなくのイメージはある。円を描いて、中心の1点が「普通」だとすると、円周の部分が「むちゃくちゃ」だ。「普通」は1個しかないのに対し、「むちゃくちゃ」は円周上にたくさん分布している。とすると、むちゃくちゃ側のバランスも、円の縁のほうにたくさんあるのかもしれない。
となると問題は、どうやったら最初にむちゃくちゃ側の端まで移動できるかだ。言わば、頭の中で飛行機に乗るようなことなんだろうけど、具体的にどうしたらいいのか。まあ、いろんな方法がありそう。というか、採用した方法によって、たどり着けるむちゃくちゃが決まってくるのかもしれない。誰かが言ってた方法は、白い紙に大きく「うんこ」と書くというもの。この状態から普通の方向へ少し歩けば、普通ではない、うんこ寄りのバランスにたどり着けるんだそうだ。ただ、いつもこの方法でやっていたら、いつまでもうんこ的なバランスの上で暮らしていくことになるがそれは嫌な感じがする。うんこが嫌というか、そこに安住するとそれがまた普通っぽくなって、つまらなくなりそう。
というようなことを考えると、むちゃくちゃ側の端へ飛ぶための移動手段のバリエーションを考えることが、あれなんじゃないか。バランスより大事なことなんじゃないか。と思った。