ちょっと不定期の更新にしてみます。

ちょっと不定期の更新にしてみます。

夜に用事のある日のブログ執筆に関する注意

夜に飲み会などの用事のある日は、なるべくその用事の前にブログを書くようにしています。その用事に気兼ねなく参加したいためというのが主な理由ですが、もうひとつ、その用事のことで頭がいっぱいの状態でブログを書かないといけなくなるのを避けたいというのもあります。

素朴に考えるならその用事のことを書けばよさそうなんですけど、時間的に近い出来事の記憶というのは結構ひいき目に見てしまうもので、ちょっと「へ~」ってなったぐらいのことでも、めっちゃ面白かったかのように書いてしまうものです。別に酒は入ってなくても、なんらかの酔いは回っていて、正常な判断の目を失ってしまってるといいますか……個人的な用語を使うなら、「面白い/面白くないフィルター」がガバガバな状態なんですね。

なので、ついさっきの面白い出来事の記憶についてはしばらく置いておいて、日を改めて何か書こうとしたときに頭に浮上してきたならば、それは書くにあたいするものかもしれない、というふうに一応決めています。時間とともに記憶が薄れていくことによる淘汰(面白いものと面白くないものの選別)を僕は結構信用してるほうなんだと思います。

で、今日も飲み会があったんですが、その前にブログを書くことができずに今を迎えてしまいました。そしてやっぱり、その飲み会で起こったことで頭がいっぱいで、ほかのことを考えるのが難しい状況です。なので以上のように、それ自体に言及したことを書くに至ったわけですね。それ自体に言及するという技はだいたい1回しか使えないので、今後は苦しくなりそうです。「行く前に書く」を徹底していきたいです。

 

記事が100本をこえました

ブログの記事の件数が100をこえました。

おしっこをしたあと、まだおしっこを絞り出そうとしているような感覚がずっと続いているので、もうだいぶ限界は通り越しているような気がします。ブログを100本書くというだけなら、「ああ」とか「あああ」とか「ぽこぽこぽん」とか書いてるだけでもできることなので何も誇れることではないですし、自分で言うなんてダサいからやめておこうと思っていたのですが、こうして書いちゃってるのもおしっこが全然出ないからです。おしっこが出ない以上、おしっこが出ないことについて書く以外ありません。出ないおしっこを出すのって、これほどまでに大変なんですね。もう何年も血尿を出し続けている糸井重里さんを改めて尊敬し直しました。

100本というのは別に目標に掲げていたわけではないのですが、区切りがよく満足感もあるので、もういつでも途絶えさせられる状況になりました。継続を阻む要素が1つ増えたという言い方もできます。そもそもこれまでも、ブログをやめたところで誰も何も言わないだろうという状況ではありましたが、これからは自分自身すらも「別に無理してやらんでええのに。もうあんまり意味ないで」と言ってくるわけですので。しかし難易度が1つ上がったとするなら、それはそれで続ける意味も1つ増えたような気もします。でもたぶん明日もやめようかどうか迷うかたちになる気がしています。

 

弱い話2

・「午後は〇〇おもいッきりテレビ」という番組に表示されていた番組名のテロップ。太い輪郭線で書かれていたため、「ッ」の1画目と2画目の短い棒が密着していて、それがちょうど「ゥ」の横棒が輪郭線によって埋もれてしまってるようにも見えたので、物心ついて間もなかった僕は「なんでこんなところに小さい『ゥ』が…?」と不思議に思っていた。

 

・小学生の頃の夏、親に連れられて梅田の阪神百貨店の地下に降りたとき、鮮魚コーナーが近かったのか冷房がかなり強くて、しかしデパ地下がどういうところなのかとか鮮魚にはどういう環境が必要なのかとかに通じていなかった僕は、なぜこんなに寒いのか理解できず、なんで半そで半ズボンでこんな場所にいなきゃいけないんだ、夏はどうしたんだと悲しくなっていた。

 

・社会人になって初めて帰省したとき、とらやの羊かんを買って帰ったら、親から「あんたは初任給でとらやの羊かんを買ってくるような子やったんか…」と残念がられた。その年の夏、勤め先に近かった沼津港でアジの干物を買って実家に送ったら「普通に焼いたんより美味しいわってお父さん喜んでたよ」と褒められた。翌年の秋、フランスへ新婚旅行に行ったお土産にモエのシャンパンを買って帰ったら「新婚旅行のお土産にモエのシャンパンかいな…」と呆れられた。会社を辞めて上京し、吉祥寺の小ざさで買った羊かんを送ったら「これ…滅多に買えないんやってね…? すごく並ぶんでしょ…?」と喜ばれた。

 

話し相手の頭を突然思いっきり叩いたらと想像してしまう

人と会話している最中、何の脈絡もなく「今この人の頭を思いっきり叩いたら……」という考えが頭をよぎることがある。行動に移すことはないけど、少しのあいだこの想像に頭を使われて、話を聞きそびれることがあるので、まあまあの支障が出ている。

大勢で真面目な話をしているときも、「自分がいま突然立ち上がって『ブー!ブー!ブー!オナラ!ウンコ!!!』と叫んだらどうなるだろう……」と考えてしまうことがある。仕事上の集まりで偉い人が持論を展開しているときは、自分が「うるせうるせうるせー!つまんねえくせになげえよ!」などと言ってるのを想像してゾッとしてるうちに話題が次に進んでいたりする。

僕はよくおとなしいと言われるけど、こういう考えが立ち上がって、それをがんばってしずめようとしているときはずっと黙ってることになるわけで、その様子がおとなしく見えているというだけなのかもしれない。これはおとなしい人全員に当てはまることでは絶対ないと思うけど、あえて当てはめてみて、同席したおとなしい男女を「人道に反した考えを必死に封じ込めようとしている人」だと思って眺めてみると結構面白いかもしれない。

 

弱い話

自分でもなんで記憶に残ってるのかよく分からないような弱い話は、人に話す機会を待っていても死ぬまで来なさそうなので、こういう場にどんどん書いておこう。

・小学生の頃、夏休みの宿題をしていたとき、「ゆ」という字を書くのに手こずっていたら、母がその様子を見て「大人でも難しいんよ」と言った。

・小学生のある日、アルファベットが書けることを誰かに知らせたくなって、手元にあるスヌーピーのペンケースに印刷されていた「RAKUCHIN」という文字を紙に書き写し、それを父に渡したら、父が「らくちん・・・」と言った。

・幼稚園の頃のある日、友達の家で牛乳を出され、それをゴクゴク飲んでいたら、コップの底のほうが茶色く汚れているのが見えて、途中で飲むのをやめた。

・幼稚園で、同じ組のみんなと床に座ってアンパンマンのビデオを見ていたとき、首が疲れて、頭をだらんとさせたり左右を向いたりしていたら、しゃべったことない子と何回か目が合った。

・中学生のある日、友達の友達の家に遊びに行き、持参した「ぷよぷよ通」というゲームソフトをカバンから出したら、その家にも「ぷよぷよ通」があることを告げられ、しかしどちらもやらなかった。