タイトルをつける恥ずかしさ

5月頃からブログを続けて書いてみているけど、どうしても慣れないことのひとつに「タイトルをつけること」がある。自分の書いたものに自分でタイトルをつけるって、めちゃくちゃ恥ずかしい。自分の文章をひとつの作品として見てる感じがして気持ち悪い。拒否反応が起こる。

ブログ全体のタイトルをつけるときにも同じような気持ち悪さに直面し、まだちゃんとした名前はつけられていない(このまま「雑記」でいく可能性が高い)。さすがに個別の記事を全部「雑記」にするわけにもいかない気がして、今のところがんばってタイトルをつけてるけど、そろそろ精神的に参ってきた。タイトルをつけるたびに、自分から自分へ「なに新書気取ってんだ」などの声が飛んできて、メンタルをボコボコにされる。

みんな恥ずかしくないのかな?って思うけど、みんな恥ずかしいですよね? 最近、タイトル欄を入力せずに"■"という表示の状態で公開している人を見かけたけど、ものすごく共感した(実際には全然違う意図かもしれないけど。僕も明日からやりかねない)。

タイトルをつけるって、自分の名前を自分でつけるようなもので、かなり不自然な行為じゃなかろうか。かっこいい名前も、意識高めの名前も、かわいらしい名前も、可憐な名前も、「他人がつけた」という前提があるからこそ、かろうじて恥ずかしくないものだと思う。自分で自分に命名するには、相当なナルシシズムを要する。なので無理につけると自己嫌悪によるダメージを負う。「じゃあ今日の日付とかにすればいいじゃないか」とも思うけど、タイトルの枠があった上で敢えて日付のみにするという行為は、かなり作為的というか、反骨精神バリバリに見えて、それはそれでまた気持ち悪くなる。

そういえば、「ほぼ日」で糸井重里さんが毎日書いてる『今日のダーリン』は、記事ごとのタイトルが無い。「タイトル無し」ということさえ感づかれないようになっている。さすがよく考えられているな。いいな~~