面白いから好きになるのではなく、好きなものを面白がろうとしているのでは

僕は漫画が好きなんですが、セリフの文字が多かったり、登場人物がいっぱいいたり、設定が複雑だったりすると、読むのが面倒になってしまいます。あと、長編のストーリー漫画だと、ずっと読み続けていくのを想像して気が遠くなってしまい、読む気力をなくしてしまいます。どちらかというと、短くてシンプルな、サクッと読める漫画が好きですね。

・・・と思ってる状態で『HUNTER×HUNTER』を読むと、全部撤回せざるを得なくなる。膨大なセリフを漏らさず読み、込み入った設定、複雑なキャラ相関も進んで理解しようとし、長いストーリーについても「永遠に続いてくれ」と願い、食い入るように読み進めている自分がいる。「こういう漫画が好き」というカテゴライズが単なる思い込みにすぎなかったのを知るのです。

「好き」という感覚は、「面白い」と違って、分析困難なものを含んでいるように思う。以前、アニメ『プリパラ』をおすすめしてもらい、見てみたらとても面白かったんですけど、2、3話だけ見て、それ以降は見ていない。忙しさなど、説明できる事情はあるにはあるけど、たとえば今日は仕事にかなり追われていたのに『HUNTER×HUNTER』はしっかり読んでいた。プリパラは「面白い」の仲間には加わったけど「好き」にまでは達しなかったんだろうな。

ほかのジャンルについても、「好き」と「面白い」の観点で振り返ってみると、どうも自分の場合は、面白いから好きになっているというよりも、好きなものを面白がろうとしているんじゃないかと思えてきた。笑い飯。もちろん面白いけど、その前に「好き」があったような。いや、でも最初は「面白い」から入ったんじゃなかろうか。面白い→好き→面白い、か? またわからなくなってきた。

「なぜ好きか」は、自分の頭だけで考えてもむだなことのひとつかもしれない。答えがあるとすれば、生物学、生理学、心理学、文化人類学、あるいはオカルティズムにある気がするけど、どうなんでしょうね?