「沈黙は金」について
「沈黙は金、雄弁は銀」ということわざ?故事成語?格言?がある。この言葉に即座に同意できる人はあまり多くないんじゃないかと思う。会議とか飲み会とかで黙りこくってたら「全然しゃべらんな」「なんかしゃべろう…?」「場にしゃべらない人がひとりでもいるってのはなあ、みんなにとって悪影響なんだぜ?」「なんもしゃべらんのになんでいるの?」「つまんなそうだけど大丈夫…?」「サッサッ(顔の前に手をかざして上下に振るやつ)」などと非難されたり不審がられたり説教されたり気にされたりすることがあるし、そういう扱いを受けてる人を何度も見たことがある。そのたびに「沈黙は金じゃなかったのかよ...…」と思う。
納得のいかないことわざといえばほかに「善は急げ」と「急いては事を仕損じる」がある。どっちだよ…と憤慨してしまうやつですね。でも、ことわざは真理でもなんでもなく、単なる戒めみたいなもんだということを踏まえると、「善は急げ」は「おろおろして行動を遅らせると良くないことがある」という事実を、「急いては~」は「焦って行動すると良くないことがある」という事実を言っているにすぎず、どちらもそりゃそうだとなる。
そうすると「沈黙は金、雄弁は銀」は、「べらべらしゃべってばかりいると良くないことがある」とか「弁の立つ人ばかり称賛してると良くないことがある」という事実を前提とした戒めということになる。間違っても、無口な人が自分を正当化するために持ち出すものではなさそうだ。すみませんでした。
ことわざの意図からは離れるかもしれないけど、インドのヨーガの修行に「沈黙の行」というものがあるのを聞いたことがある。1日か、もっと長い期間かは分からないが、とにかく"しゃべらない"という修行だ。結構簡単そうだけどどうなんだろう。日本でも独り暮らしの人で何日もしゃべってない人いそうだし。あえて「しゃべっちゃだめ」となると難しいもんなのかな。
あと、もっとレベルの高い修行に、「街の広場などで1日中一切しゃべらず、一切動かず(まばたきもせず)ただ居続ける」というものがあるらしい。これは無理だ。まず「まばたきをしない」というのが怖くてできないし、それは目をつぶったとしても、衆目にさらされながら意味なくじっとしてるのは耐えられないだろう。人や虫にたかられるのはともかく、子供から石や汚物を投げられたり、警察が来たり、あらゆる障害が思い浮かぶ。そういった事態が起こりまくってもなお沈黙を絶やさずにいられる人がいたら、それはもう「金」だろうな。