意見が恥ずかしい

意見が恥ずかしい。文章は基本的に恥ずかしいものだが、意見はとくに恥ずかしい。自分の書いたもので、うっかり意見を混ぜてしまうと、のちのちその意見の部分が恥ずかしくて消したくなる。他人の書いたものでも、意見が書かれているとこちらが恥ずかしくなる。

ここでの「意見」は「感想」と区別して使っている。感想はそんなに恥ずかしくない。「意見は恥ずかしい」「感想はそんなに恥ずかしくない」というのは感想だ。主語の問題かもしれない。意見の主語はみんなで、感想の主語は自分だ。「これこれはよくない」「みんなこうしたほうがいい」「みんなこうすべき」というのは意見だ。恥ずかしい。ただ微妙なところで、「これこれは嫌いだ」「みんなこうしたほうがいいと思った」「みんなこうすべきな気がする」というのは感想だ。意味合いはほぼ同じだけど、のちのち恥ずかしくなるかどうかという面では結構な違いがある。

意見は堂々としていて、感想は弱々しい。でも必ずと言っていいほど、意見より感想のほうが正確だ。意見は雑な感じがする。そのへんも、意見の恥ずかしさに関係ありそうだ。まあ、だからといって、意見はよくないという意見は言えない。のちのち恥ずかしくならないためには、意見は恥ずかしい、までしか言えない。